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昨今、東京、大阪、京都などの大都市や人気都市は当然として、地方の都市や小さな町でも、海外からの旅行者がものすごい数で押し寄せてきている。特に、中国と韓国は異常に多く、大都市を歩いていると言葉が耳につく発音だったり大声で話すためか、とにかく日本語よりよく聞こえてくる。

今日、地方の小さな町にあるスシローに入った。
オーダーをする案内は、案の定、日本語、英語、中国語、韓国語で書かれていた。スシローに限らず、最近ではかなり多くの回転寿司屋でこんな状態だし、もっと言えば、どんなレストランであってもこんな具合になってきている。

まして、一番驚くのが、東京で電車にのっているとこの4か国語でアナウンスがあって、日本語のアナウンスよりも外国語のほうが比重が高くなってしまっているため、一度聞きのがすとなかなか次まで日本語が聞こえてこない。

好きな京都や沖縄へ旅行に行っても、中国人と韓国人が大量にいるし、京都の町中や観光名所、沖縄の国際通りや名所も完全に日本人は小さくなって歩いているような風景になってしまった。そしてホテルに泊まると、ロビーには大量の中国系や韓国系の団体や個人旅行者であふれかえっていて、日本のホテルとはもはや思えない。夜になると大声で騒ぐからうるさくて苦情も多いらしい。朝はバイキングの料理でこの手の旅行者に出くわすと、もう料理は一気になくなって散らかされてしまい、食事もあきらめるというがっかりどころじゃなくて怒りすら覚える経験だって少なくない。

なんで日本がこんなことになってしまったんだろう。
とにかく、多すぎる。日本人が普通に生活して普通に旅行するなかで出会う海外旅行者は歓迎したくもなるし、おもてなしの心も自然に生まれる。しかし、自分の生活を圧迫される旅行者にはそういう気持ちも起きない。

本当に一部の企業や商店は海外旅行者によって利益は上がるのだろう。それで嬉しいのだろう。けれど、日本の将来と日本人の心を取り戻したくなる日はいずれやってくると思う。

自分の生まれだった国がここまで変わっていくことを、素晴らしいと手放しで喜んでいる人はおそらく多くはないと思う。なぜなら、自分の周りの人たちはほとんどが喜んでいないから。

今の暴走する政治を止めないと、これは止まらない。

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沖縄に最後に行ったのが、かれこれ15年以上前。

そんな浦島太郎状態で、仕事のために沖縄に行ってきた。しかし、すごい変わりようで驚いたとしかいいようがない。国際通りなんて、おそらくハワイ・ワイキキの5倍や6倍は規模がでかいし、実際に歩いている人の波はワイキキなんて田舎町に見えるほど大量の人であふれかえっていた。

もちろん、日本人の数は半分もいないだろう。ほとんどの観光客は外国人であって、それも台湾、中国、韓国、フィリピンあたりが圧倒的に多いのだろうと思う。実際に欧米系の白人の姿は国際通りにはほとんど見なかった。

金はずいぶん回っているのだろう。あれだけの人の量だから、考えただけでも恐ろしい経済パワーになっている。

まして、町にはモノレールは走ってるし、レンタカーのオフィスはいたるところにあるし、レストランはきれいなのがものすごく増えているし、そして何よりもホテルに泊まっていると日本語よりも外国語(中国語?)のほうが聞こえてくるくらいの勢いだった。


年をとったせいか、沖縄はなんとも言えなくしみじみしてしまった。沖縄の音楽を聴きながら、泡盛なんて飲んでるとふと涙が出そうになるくらい気持ちが和む。

でも、本当に沖縄はこれでいいのだろうか。
やはりこの純粋な地に、アメリカの基地があり、メインストリートは外国人に乗っ取られた形になっているし、そしてなおも毎日のように尽きることなく外国人が訪れては習慣や文化を無視したような風景をまき散らかす。

美しく純粋な沖縄の風景は、もしかしたら日本の平和と引き換えにいつも犠牲になってきているのではないだろうか。沖縄はとてつもなく素晴らしい日本の島であって、観光するにもこれほどの場所はそう簡単にみつからない。

でも、その素晴らしい場所には戦争の爪痕もあまりに残酷なほどに残り、今でも闘いの名残のように基地もある。そして、今やあたらしい浸食が外国から旅行者という形で増えてゆく。

本当に沖縄の未来は日本全体でいつも考えていかないと、あまりに不公平だと思いながら帰途についた。




最近、実は日本国内を旅することがやたらに増えました。仕事の影響なのですが、とにかくいろいろ行けるようになって嬉しいことです。

レンタカーでドライブすることも非常に多く、先日は地震で壊れてしまった陸前高田の町を通り抜けてドライブしました。しかし、いまだ町の景色は戻っておらず荒れ果てた風景は地震のおそろしい思い出を蘇らせてきました。

本当にあれはどれほどひどい災害だったのだろうかという感慨が悲しみと共にこみ上げてきました。そういう町にいると、なにか頑張ろうという意識は出てくるので不思議なものです。逆に食欲などは一気になくなって、質素な生活をしておこうとか考えてしまいます。


その後、仙台に抜けて町を歩くと、こちらはいたるところにグルメな店が点在してました。
旬の牡蠣もやはりうまいし、名物の牛タンの店は少しあるくとすぐに見つかります。

その昔は、名物牛タンといっても太助と喜助くらいしか店はなかったのですが、それが今は利久だの伊達の牛タンだの本当に牛タンの店が増えていました。

同じ東北でも、まだまだ陸前高田は立ち上がるまではいっていません。しかし、仙台はもうすでに地震の面影はほとんどありませんでした。つまり、津波を受けたかどうかが、どれほど大きなダメージになったかがわかる旅でした。

揺れ、津波、そして原発・・・あれはとんでもないことでした。


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ところで、今日はだれもがおそらく困っている話題をひとつ。

実は最近、使わなくなってしまったデスクトップPCやノートPC、さらにはデジタルカメラなどを一気に処分しました。

家電処分の数千円を支払って家庭ごみで捨ててしまってもいいとは思いますが、なにせ一番気になったのはハードディスクに残ったデータの問題。家庭ごみで出すと、このデータ消しまではやってくれません。

このハードディスクのデータは、いくらPC上でゴミ箱に入れて消したつもりでも、まだハードディスクに残っていることがかなり多いのです。なので、確実に消さないとあとで個人情報やパスワード、クレジットカードなどの情報が盗み取られて恐ろしいことになることも実際にあります。

なので、そこを確実に処理したうえでPCを処分できる方法を調べました。

その結果、この「ジャンク品ドットコム」は、安全・確実にハードディスクの情報を消してくれたうえで、中古で壊れたPCでも買い取ってくれるという驚異的にありがたい会社でした。

<使ってみた感想>

●メールでの問い合わせと見積もり依頼がメチャクチャ簡単。しばしば、この手の問い合わせは自分の住所氏名、年齢、電話番号などかなり個人情報を記入することがありますが、このジャンク品ドットコムはメールアドレスと名前だけで即座に見積もり金額を出してくれます。

●送付の費用が宅急便の受取人支払いでOK。PCであれば、一定の大きさと重量までは費用がかかりません。規定外になると送付費用はかかりますが、私の場合は規定内でしたので、送付費用はかかりませんでした。

●メールでの説明が丁寧。担当の方が、まず丁寧に手順を説明してくれます。そのうえ、一番気がかりだったハードディスクの処分に関しても会社責任で消し去るとの説明がなされていました。買取金額の振込が終わった段階で、連絡も迅速丁寧でした。

●安心感と対応の早さ。結局はこれが一番大事なのですが、信頼できる会社かどうか、です。使ってみたところ、まず安心感があります。リピート顧客を大事にしているのもよくわかりますので、一度使ってもらってさようならという無責任さもありません。


以上がおおまかな感想です。


おそらく誰でも古くなって使っていないPC、動かないPC、なんて家のどこかにあるのではないでしょうか。そんなとき、このジャンク品ドットコムは役に立ってくれます。

家電処分の数千円を支払って家庭ごみなどで出してみても、ハードディスクデータの処分などは期待できません。

買い取ってくれてそのうえデータ消去まで責任もってやってくれるなら、こっちのほうがはるかに便利、お得、安心だと思います。とてもありがたいPC買取の専門業者です。なお、PC以外でも故障しておらず作動しているモニターなどの関連アイテム、ゲーム機、スマートフォン、デジタルカメラなど様々買い取ってくれますので、一度サイトで確認されるといいと思います。

ジャンク品ドットコム





クイーンの映画が結構ヒットしているらしい。


どこかしらにたくさん隠れたファンがいるのだろうけれど、考えてみれば20年や30年前、いや40年前くらいからクイーンは結構な人気バンドだった。今でもあまり古くは感じないけれど、実際は40年も前にヒットを連発していたわけで、キラークイーンやボヘミアンラプソディなんてのも、実際はもう40年も前の曲なわけだ。

でも、いまだにクイーンの曲が生命力をもって聴かれているわけだから、やはり名曲を作り出したバンドってことで間違いない。

同じ名曲だらけのバンドでビートルズは別格としても、ふつうにビージーズ、ビーチボーイズなどのクイーンよりさらに10年くらい古いバンドになると、もうだんだん生命力を失っていって曲を聴いてもどことなく古さを感じる。レコーディング技術が格段に進化したころなので、今もきれいな録音で聞けるというアドバンテージがクイーンにはあるけれど、それでもなお、すごいことだと思う。

実は、こんなトピックを選んだのは、フレディ・マーキュリーの声にそっくりなミュージシャンがいて、それがあまりに昔を思い出させてくれたのが理由。

クイーン自体はもうあまり聞きたくなることもないのだけれど、この人の歌声を聞いていると、本当にフレディが生きていて歌ってくれているような嬉しい錯覚に陥る。そして、そんなワクワクを味わえることがなぜか嬉しい。

錯覚だから嬉しいのだろう。本家のクイーンを聞いても、終わってしまったという事実、フレディがいないという事実を確認することになり単に懐メロのような感覚にもなることがある。だけれども、このそっくりさんを聞いていると、その事実を忘れて錯覚が自分を支配してくれるわけだ。

この声には驚く。



日産のゴーンが、なんだかんだで80億円くらいピンハネしていたような報道だけれど、それに加えて、親に家を買ったり兄弟に金を払ったり・・・それで、そういう金のすべてが日産の利益から出ていたという話だ。

80億だか100億だかしらないけれど、とにかくその金が仮に日産から出てるなら、そこで働いている人にとってはやっぱり頭にくるだろう。コスト削減目的だとしても、ふつうは上層部は質素にしながらコストカットするのが会社の士気を維持するためには当然のことだ。

とにかく、日本の会社をダシにして自分だけ潤う。
ルノーもフランス政府もそういうことなんだろうけれど、日本からとにかくすきなだけピンハネして裏金もらって、挙句の果てに日本の陰謀だとか言ってるとか。

こんなことだから国際化とかグローバリゼーションなんてバカバカしいってこと。結局、欧米の連中がワルサをしやすくするための制度改革のようなもの。こんなの、もともと分かりきった話。

日産なんて本当に目に見えるたったひとつの例でしかない。
日本はずっとずっと搾取されてきた歴史なわけだ。
日本人はひたすら働いて、出た利益はどんどん海外に出ていく構造、これに気が付かないとダメなんだけど、気づいたところで変えることもできないかな。なんたって、そういう国だったんだから、今更変えるとまたまた日本は欧米のおいしい蜜を吸う国から敵国扱いされるから。

日本人は人を性善説にたってみるけれど、他国に行くとそうではないことがよくわかる。疑ってかからないと本当にひどい目にあうからだ。

外国人万歳、西洋人万歳でやってきた舶来品に弱い精神構造もそろそろ終わらないとね。





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ずっと犬が好きで、犬がかわいそうな状態だったりするとこっちも寂しくなったりしていた。数年前に捨て猫を森で拾ってきて育て始めたらだんだん猫にも愛着が生まれ始めて、今は犬も猫も大事な存在だ。

その昔、ニュージーランドに住んでいたころ、高速道路を車で走っていて目の前を行くトラックに近づいた。そしたら、荷台に積まれたぬいぐるみのような「ゴミ」が目に入った。少しはしっていると、それが「動いている」のに気づいた。

なんとそれらは生きている子羊だった。かわいい小さな子羊が荷台の中で隙間なく詰め込まれて、上下左右関係なくとにかくゴミのようにぎっしり力いっぱいに詰め込まれている状態だった。あまりにかわいそうで、そのトラックから離れるために自分の車の速度を落とした。その光景は今も、自分の中ではトラウマのような光景となって、離れようとしない。

ニュージーランドに行ってから、ラム肉は食べられなくなった。牧場で走る子羊や、上のトラックのような光景を見て、あまりにかわいい子羊が、生まれてわずか数か月の命の中でゴミのような扱いをされて「肉」になって終わっていくことが、どうしようもなく悲惨でかわいそうに思えてしまったからだ。

今は日本で生活していてもそれは変わらない。

そして、最近は時々ニワトリを育てているファームに用があっていったりするのだけれど、だんだんニワトリもかわいくてかわいそうで、もう食べられなくなった。とにかく、2年くらいの命しかないニワトリは卵を産むためにだけ育てられ、わずかB5サイズくらいの面積のカゴの中でだけ生涯を送る。生まれてきて、身動きすらできず、カゴの中で卵だけを産まされて、そして最後は肉にされてたべられて死んでゆく。これって、同じ命としてあまりに残酷じゃないか、と思えて仕方がなくなった。

だから、最近は卵は絶対に平飼い卵しか食べない。平飼い卵なら、ニワトリはカゴの中で産んだ卵ではなく地面を歩いている状態で産んだ卵なので、少なくともニワトリは死ぬまで動く自由だけはあったわけだから。

豚も牛も、実は飼育していると人間になついてくる。豚なんて、子供のころの姿などはかわいくてかわいくて命のすばらしさを感じるほどだったりする。

こういう姿を知ってしまうと、食べることなんてできなくなってしまう。命をもらって食べて我々だけは生きるということは、本当に大変なことなんだと今更ながら思う。かわいい姿、人間になつく心をもつ生き物を食べるために殺して、その肉を美食として味わって笑って飲んで宴会して、挙句のはてに食べ残して・・・こういうことができなくなってしまった。

人間も生きるためには肉を食べる。これは仕方がないのかもしれない。
しかし、そのために、我々は同じように一度しかない大切な命を毎日のように大量に殺してしまっていることもやはり忘れてはならないと思う。

動物愛護はひとそれぞれで感じ方も違う。
ただ、そんな命ある動物を大切に育てることもできれば、殺すことも簡単にできるのが人間であること。生き物の頂点に立つような存在である人間であるからこそ、やはり愛護の心は少しでも持ち続けないとならないとは思う。

なお、自分自身もこんな切実な感覚をもつようになったのは最近のことだ。ニュージーランドでラムを食べなくなったのはかなり前でも、他についてはあまり考えたこともなかった。年をとったのかもしれないし、動物に接する機会が増えたからなのかもしれない。でも、このことに気づいてよかったように自分では思っている。

今日の雑感、でした。