日々雑感

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大谷がエンゼルスで3試合連続ホームランとか凄いことやってる。

ある程度期待はしていても、ここまで凄いと漫画のようだ。とにかく、一般人にはこの能力は理解できないってことなんだろうと思う。大谷だけにしか自分のできることは理解できないから、外野がいちいち評価しても結局間違いだらけになる。

今まで、大谷に対して二刀流はダメだから、つまり絶対無理だからやめろとか、日本の野球をなめてるとか、さんざん批判していた方々はどれだけいたことだろううか。一般人ならまだしも、いわゆる一流と自負している野球人でも、さんざん批判していた。そいういう人達を大谷は行動だけで実証してきた。決して「自分にはできる」ともいわず、かならず成績だけで証明してきた。なんとカッコいい。

野村大監督、ホームラン王の王貞治氏、ダルビッシュ、大番長の清原・・・本当にどれだけの野球人が大谷を批判してきたことか。最近では張本が「あれはまぐれかメジャーリーグのピッチャーのレベルが下がったから」とか、もうピントハズレな嫉妬に満ちたコメント垂れ流してたし。

批判してるほうが、はっきりいって、ダセエ。自分には大谷の能力が理解すらできないと証明しているようなもの。自分ができないから、大谷に「そんなのできるわけないからやめろ」とか語るわけだろう。

でも、大谷にとっては、できるできないよりも挑戦したかしないかのほうが明らかに重要なんだろうとおもう。能力を使い切ってみないと後悔することを知っているだけなんだろう。だから、やりたいだけなんだろう。能力のない人間には、この心理は理解できないってことなんだろう。

どう考えても、ピッチャーだけに専念して25歳になってから渡米したほうがいいに決まってる。楽に巨額の富を手にできたわけだから。でも、それよりも挑戦を選らんだってこと。

おいおい、一流と自負している野球人の方々、もう少し「本物」を理解して応援する姿勢をもってみてはいかがだろうか。偉大な自分にできないことは他の誰にもできない、という理論が成り立たなくなってることはもう事実じゃないですか。自分より優れた才能を認めてあげる大人の心を持ってみてはいかがでしょうか。

大谷選手には、偉大なかたがたの批判に負けずにこのまま進んでほしい。
夢を追って失敗しても自分には後悔は残らない。いくら成功だけが手に入っても、全部を出し切らなかったら、一生なにかしらの後悔は残る。

大谷には、スーパーマンのような才能がある。それをどんどん成長させて出し切ってほしい。

少なくとも、ほとんどの野球ファンは応援しているって。


ポールマッカートニーもデモに参加したらしい。ニューヨークで盟友のジョンレノンが射殺されているわけで、一生消えないショックを負っているわけだから、それも理解できる。

でも、アメリカの銃社会はおそらく終わらないだろう。今まで何度、何十回じゃなく、何百回あったかわからないこの手のデモや社会問題が、それで解決に向かったことなど一度もない。

なんといっても、銃で儲けている産業があって、それが強烈に強い。トランプもそことくっついているわけで、まず法律で規制するなんて今のままではできっこない。

それにしても、学校で毎日、毎週のように銃乱射が起きるアメリカって・・・本当に終わってる。こんなところに誰が住みたいとおもうのだろう。こんなところで、誰が子供を育てたいとおもうのだろう。

でも、移民はいまだ多いし、アメリカはいまだ強大な国。

その素晴らしいアメリカを楽しんでいるのは、強烈な格差社会の頂点にいるわずか5%にも満たない富裕層。そしてその富裕層が望む社会だけが実現され、継続する。

つまり、今のアメリカ社会は、莫大な資産をもつ人間が望んでいる社会ということだ。そして、それは今後も変わらないということを意味する。平民の意見なんて絶対聞かない国になったのだ。

それが現代のアメリカってことか。それでも、銃と暴動と隣あわせでも、アメリカで夢を追って生きてみようと思うのだろうか。


またも時代を代表した役者さんが死去してしまいました。

左とん平さんは、あまり目立った人ではなかったかもしれませんが、とても味があって好きでした。英語も話せて、ラスベガスに出かけてレポートしてみたり、風貌からは相像できない多彩な面もあって、不思議にこの人がテレビに出てくるとなにか楽しかったです。

「時間ですよ」、「寺内貫太郎一家」、「ムー一族」などいろいろ出てましたが、若き頃の時間ですよの役どころは見ていて楽しかった記憶があります。

楽しい記憶をつくってくださってありがとうございました。

ご冥福をお祈りします。

今回の韓国でのオリンピックはやはり雰囲気が普通じゃない。

北朝鮮の突然の参加、寒くてどうしようもない環境、放映時間の極端なシフト、風で競技が左右されること、食中毒、裏で進行する反日活動、それに個人的に最大の異常さはなんといっても客席がガラガラで盛り上がりがまったく感じられないこと。

競技だけやっていて、観衆は本当にまばら。フィギュアスケート決勝でもガラガラだったオリンピックなんて見たことないし、スキージャンプなんて真夜中の競技で客はほぼなし。不気味な雰囲気がただようほどだった。

世界の人たちはこれをどう感じるのかはそれぞれだろうけれど、長年オリンピックを楽しんできた経験からすると、この異様な雰囲気はいままでありえなかった。


もうすぐオリンピックも終わるけれど、おそらくあまり記憶に残らないようなオリンピックになりそうだ。

唯一、少しばかり希望を言えば、最後のフィギュアのエキシビションでは、さすがに客がはいっていてほしい。客のいないエキシビションって、あまりに派手な冗談になるから。



オリンピック中だけれど、またアメリカの学校で銃乱射があって17人死亡・・・、とのこと。

なにか、アメリカは末期的な症状になってきた。かつてアメリカが憧れの国だったころ(正直、今は憧れはないです)、そこまでひどい事件は頻発してなかった。でも、このような学校での銃乱射も今年だけで、つまり2ヶ月もたってない段階で18件になっているという。冗談じゃないと思う。

今、日本に来る観光客が、日本は安全で素晴らしいというけれど、アメリカ人あたりがそういう感想を言うのも当然かもしれない。日本で生活している我々日本人としては、その日本ですら危険になったなあと思うこともあるけれど、比較すればまだマトモだってことなんだろう。実際に、ひどくなった最大の理由は、外国人居住者が多くなって彼らが犯罪を犯すことなわけで・・。

オリンピックで、アメリカのショーンホワイトが日本の平野君にスノーボードで勝利していた。インタビューでは、高揚して話しをしていたし叫び声をあげてさわいでいたり。一方、平野君は落ち着いて冷静に・・・31歳と19歳、逆じゃないかって思うような光景だった。

考えてみれば、その昔、アメリカが憧れだった頃、そういう自由奔放な表現ができる個人主義に憧れていたものだ。でも、その結末が社会の乱れになったり犯罪になったりなわけだから、日本の調和の精神のほうが、よほど人間社会としては正しかったという結論が出てしまったように思う。

19歳の若さ、それもスノーボードをやってファッションも飛んでるわけだけれど、平野君のそれでもあの立派な冷静な受け答えには、日本の成功した社会の一面を見る思いがした。


戦場並みに荒れ果てた学校や社会を見ると、もうそこには憧れだった自由の国アメリカの姿は消滅したんだと思った。
不倫騒動から急展開で引退会見となったらしい。小室より年下だけれど、そう離れていない年齢だったので少し気になった。

事情はわからないからそれについての感想はないけれど、ただ最近小室哲哉って影が相当薄くなっていた。かつての栄華は遠く消え去り、今は年をとって往年の名前で出ている感じがいつも漂っていたからこうなるのも結局は時間の問題だったのかもしれない。

詐欺事件で罪となり、奥さんが倒れて、本人も病がちな時間が最近は多かったようだ。なにか、とても晩年に向かって不幸を背負ってしまったような印象すらある。

でも、なんといってもそうなっていった最大のきっかけは小室本人が作る音楽を世の中が必要としなくなってしまったからだろう。いくら自分で納得した音楽を作っても、世の中が興味を示してくれなくなった以上は、クリエイターとしての寿命は尽きてしまったとしかいえない。

僕は彼のファンではないから冷たい言い方かもしれないけれど、でも、それは僕の好きなアーチストであっても全く同じことだ。どれだけ才能があっても時代と共に求められる才能は変わっていく。それが時代。我々が熱狂したアーチストに、我々の子供の世代は熱狂はしない。


しかし、よく作曲とプロデュースという作業だけでここまで持続したという感慨もある。僕個人にとって小室哲哉のキーボードプレーは趣味でもなくて全く聞けなかったし、時々余興のようにトライしていたボーカルも本当に音程が外れていてミュージシャンとはいえないレベルだった。だからこそ、ミュージシャンの第一線ではなく、他にボーカルが必要で演奏も表に出ないでやっていたのだろう。そして、だからこそ、作曲とプロデュースで世に名を残したことは賞賛に値するとは思う。売れなくなって詐欺でつかまったのはあまりに大きなオチだったけれど。

TMネットワークという小室が最初にいたバンドの木根というギター奏者が、後になって実はギターはまったく弾けなくてただ手を動かしていただけだったと告白していたけれど、そんなテキトー極まりないバンドでもOKだった時代だからやってられたってこともあるのだろう。なにか胡散臭い雰囲気があったから好きになれなかったけれど、木根のそういう話を聞いたときはやっぱりとおもったものだ。

そんな勢いだけでやっていたバンド活動から、一時代をリードしたプロデューサーとなったのだから隠れていた才能を開花させたんだろう。


でも、時代と共に去っていくのは、彼がどうのこうのではなく、やはり寂しさは残る。僕らの時代はどんどん流れ去っていくということなんだろう。

お疲れ様でした。少し休んでよい余生を楽しんでください。


アメリカに旅に出て一番楽しみなことの一つが現地でブルースやジャズを聞けること。

これは、さすがに日本では無理なので、現地の本物の音楽を楽しめるときはちょっとワクワクする。ニューヨークならジャズだろうし、ロサンゼルスならフュージョンもいまだにライブ演奏が行われていて日本の死滅したフュージョンブームとは裏腹に静かでも絶えることなく今も継続しているのがわかる。ブルースも結構市民権は根強くあって、探すとさほど難しくなく毎晩どこかで生演奏があったりする。

ロックという巨大な音楽産業化したコンサートもいいけれど、ジャズやブルースというアメリカのいわゆる「民族音楽」はやはり素晴らしい文化であってなにか心が落ち着く。年取ったからかなあ・・・今ではさほど巨大なロックコンサートには出かけたいとも思わなくなった。


ところで、今、ダウンタウンの浜田が得ディーマーフィーに変装した黒人メイクが人種差別だってさわいでいる黒人が日本にいるらしい。それって、ものすごいアメリカ文化の押し付けだと思った。アメリカじゃそうなんだろう。でも、日本ではそんな差別意識さらさらない。だから、そういうアメリカの差別習慣を持ち込むなら日本に住まないでアメリカに住むべきだと思った。アメリカでなら、そういう議論は成り立つだろう。でも日本では、白人に変装するのも黒人に変装するのも差別や偏見はまったくない。白も黒も同じ変装でしかない。差別だとさわぐ人自身が差別意識に覆われているだけじゃないのか。

ジャズやブルースが僕は大好きだから、僕にとってはBBキングやマイルスデービスはある意味神格化した存在だ。では、僕がその憧れの人達に対してオマージュをささげるために真似してコンサートをやったら「黒人差別」になるのか?憧れや尊敬を表すことが差別になるのか?あほらしい。黒人だろうが白人だろうが、憧れは変わらない。

この差別問題を言い出したアメリカ人とて、おそらく幼少期や何もしらないときは、差別意識(差別される意識)などなかったのだろうと思う。生活の中でそういう差別を経験してしまったからそこに敏感になったのだろうと思う。ある意味、社会の歪みがそうさせてたんだろう。

しかし、そういう差別や歪みのない日本社会に、歪みの価値観を持ち込むほうが迷惑に感じる。どうしても、問題なら冷静に議論してから問題化すべきであって、一方的に日本が悪いという論調はおかしすぎる。

ひとつ感じることがある。

アメリカでしばしば、アジア人のつり目を真似して差別問題になることがある。アメリカで僕も目の前でそうされたこともあるので、現実におきるのは知っている。でも、そのとき「ああ、そういう風に見えるんだなあ」としか」思わなかった。差別されている意識なんてなかった。だから、その行為をした人間ともまったく不仲にはならなかった。

数十年もの時間を経て、今、その行為は差別として考えられているのを僕はしっている。だからもし今アメリカあたりでそうされたら、ああまた差別か、ときっと思うのだろう。

それは社会がそうなったということを知ったからだ。

社会に差別の意識がない時に、つり目でも黒人の変装でも白人の変装でも、僕個人は悪気を感じることはまったくなかった。それは今日本にいて、やはりそう思う。なぜなら、僕の周りの日本人で「黒人差別や白人差別」をしているひとなんてゼロだからだ。外国人と日本人の違いはあると思う。実際にマナーの悪さで困っている人も多い。でも、それは白人でも黒人でもアジア人でもなく外国人でしかないし、まして差別ではなくマナー違反やことなった習慣にたいする問題対処でしかない。

なぜ、黒人に変装すると人種差別になるのか、そんな差別文化がない日本人にはおよそ理解できないとやはり思う。もし、今後もそういう議論をこの在日アメリカ人が起こしていくなら、逆に日本に差別して考える文化が根付いてしまうかもしれない。

それがこの人のご希望なのだろうか。