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日々雑感

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ハングルとか中国語が多いそうだけれど、英語もあるようだ。

いい加減にしてほしい。結局、外国人観光客っていっても、ほとんどは他人の国に敬意もなく、たんに遊んで帰るだけということ。観光客が増えると好ましいようなニュースが多くて、テレビでは呆れるくらい外国人特集の番組だらけ。そして、日本をもちあげてもらって喜ぶ番組と視聴者。

なにか間違ってる。

文化を守るってことは本当に大変なことだ。日本の文化は2000年以上の時間を経て作られてきたのに、こういう観光客で一瞬に汚されていく。

もう、京都の竹林は立ち入り禁止にすればいい。そのほうが文化と風景を守れる。祇園もそうなったほうがいいんじゃないかな。

大阪の道頓堀なんてもうジャックされてるし、東京の銀座も同じこと。金を落としてもらって喜ぶのも悪い。だけど、外国人どんどん呼び込む政治も本当にいい加減にしてほしい。

日本は壊れていくってこと、気がつかないと手遅れになりそうにおもう昨今。


----以下、引用----

京都の代表的な観光地・嵯峨嵐山地域の竹林で、約100本の竹が刃物のようなもので彫られ、アルファベットやハングルなどの落書きが残されていることが17日、分かった。竹林を所有する京都市は注意を促す貼り紙を掲示しており、京都府警に被害届を出すことも検討している。

 竹林は、同市右京区の天龍寺の北側にある市所有の約3800平方メートル。この中の「竹林の散策路」と呼ばれる一帯が被害に遭った。

 市は平成27年、嵐山などで観光人力車を運営する法人に管理を委託。竹林に散策路を整備するなどして日中の一般開放を始めた。

 市によると、開放当初から落書きは散見されてはいたが、今年2月ごろから徐々に増え、4月に急増。中国語で「ここに来たよ」などの内容もあるという。

 運営法人の担当者は「人力車の引き手が落書きの現場を見たこともある。竹が傷つけられるのは非常に悲しい」と語った。イタリアから訪れたフランセスカ・サイさん(29)は「美しい風景が、このような落書きで台無しになるのは残念」と憤った。
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大谷がエンゼルスで3試合連続ホームランとか凄いことやってる。

ある程度期待はしていても、ここまで凄いと漫画のようだ。とにかく、一般人にはこの能力は理解できないってことなんだろうと思う。大谷だけにしか自分のできることは理解できないから、外野がいちいち評価しても結局間違いだらけになる。

今まで、大谷に対して二刀流はダメだから、つまり絶対無理だからやめろとか、日本の野球をなめてるとか、さんざん批判していた方々はどれだけいたことだろううか。一般人ならまだしも、いわゆる一流と自負している野球人でも、さんざん批判していた。そいういう人達を大谷は行動だけで実証してきた。決して「自分にはできる」ともいわず、かならず成績だけで証明してきた。なんとカッコいい。

野村大監督、ホームラン王の王貞治氏、ダルビッシュ、大番長の清原・・・本当にどれだけの野球人が大谷を批判してきたことか。最近では張本が「あれはまぐれかメジャーリーグのピッチャーのレベルが下がったから」とか、もうピントハズレな嫉妬に満ちたコメント垂れ流してたし。

批判してるほうが、はっきりいって、ダセエ。自分には大谷の能力が理解すらできないと証明しているようなもの。自分ができないから、大谷に「そんなのできるわけないからやめろ」とか語るわけだろう。

でも、大谷にとっては、できるできないよりも挑戦したかしないかのほうが明らかに重要なんだろうとおもう。能力を使い切ってみないと後悔することを知っているだけなんだろう。だから、やりたいだけなんだろう。能力のない人間には、この心理は理解できないってことなんだろう。

どう考えても、ピッチャーだけに専念して25歳になってから渡米したほうがいいに決まってる。楽に巨額の富を手にできたわけだから。でも、それよりも挑戦を選らんだってこと。

おいおい、一流と自負している野球人の方々、もう少し「本物」を理解して応援する姿勢をもってみてはいかがだろうか。偉大な自分にできないことは他の誰にもできない、という理論が成り立たなくなってることはもう事実じゃないですか。自分より優れた才能を認めてあげる大人の心を持ってみてはいかがでしょうか。

大谷選手には、偉大なかたがたの批判に負けずにこのまま進んでほしい。
夢を追って失敗しても自分には後悔は残らない。いくら成功だけが手に入っても、全部を出し切らなかったら、一生なにかしらの後悔は残る。

大谷には、スーパーマンのような才能がある。それをどんどん成長させて出し切ってほしい。

少なくとも、ほとんどの野球ファンは応援しているって。


ポールマッカートニーもデモに参加したらしい。ニューヨークで盟友のジョンレノンが射殺されているわけで、一生消えないショックを負っているわけだから、それも理解できる。

でも、アメリカの銃社会はおそらく終わらないだろう。今まで何度、何十回じゃなく、何百回あったかわからないこの手のデモや社会問題が、それで解決に向かったことなど一度もない。

なんといっても、銃で儲けている産業があって、それが強烈に強い。トランプもそことくっついているわけで、まず法律で規制するなんて今のままではできっこない。

それにしても、学校で毎日、毎週のように銃乱射が起きるアメリカって・・・本当に終わってる。こんなところに誰が住みたいとおもうのだろう。こんなところで、誰が子供を育てたいとおもうのだろう。

でも、移民はいまだ多いし、アメリカはいまだ強大な国。

その素晴らしいアメリカを楽しんでいるのは、強烈な格差社会の頂点にいるわずか5%にも満たない富裕層。そしてその富裕層が望む社会だけが実現され、継続する。

つまり、今のアメリカ社会は、莫大な資産をもつ人間が望んでいる社会ということだ。そして、それは今後も変わらないということを意味する。平民の意見なんて絶対聞かない国になったのだ。

それが現代のアメリカってことか。それでも、銃と暴動と隣あわせでも、アメリカで夢を追って生きてみようと思うのだろうか。


またも時代を代表した役者さんが死去してしまいました。

左とん平さんは、あまり目立った人ではなかったかもしれませんが、とても味があって好きでした。英語も話せて、ラスベガスに出かけてレポートしてみたり、風貌からは相像できない多彩な面もあって、不思議にこの人がテレビに出てくるとなにか楽しかったです。

「時間ですよ」、「寺内貫太郎一家」、「ムー一族」などいろいろ出てましたが、若き頃の時間ですよの役どころは見ていて楽しかった記憶があります。

楽しい記憶をつくってくださってありがとうございました。

ご冥福をお祈りします。

今回の韓国でのオリンピックはやはり雰囲気が普通じゃない。

北朝鮮の突然の参加、寒くてどうしようもない環境、放映時間の極端なシフト、風で競技が左右されること、食中毒、裏で進行する反日活動、それに個人的に最大の異常さはなんといっても客席がガラガラで盛り上がりがまったく感じられないこと。

競技だけやっていて、観衆は本当にまばら。フィギュアスケート決勝でもガラガラだったオリンピックなんて見たことないし、スキージャンプなんて真夜中の競技で客はほぼなし。不気味な雰囲気がただようほどだった。

世界の人たちはこれをどう感じるのかはそれぞれだろうけれど、長年オリンピックを楽しんできた経験からすると、この異様な雰囲気はいままでありえなかった。


もうすぐオリンピックも終わるけれど、おそらくあまり記憶に残らないようなオリンピックになりそうだ。

唯一、少しばかり希望を言えば、最後のフィギュアのエキシビションでは、さすがに客がはいっていてほしい。客のいないエキシビションって、あまりに派手な冗談になるから。



オリンピック中だけれど、またアメリカの学校で銃乱射があって17人死亡・・・、とのこと。

なにか、アメリカは末期的な症状になってきた。かつてアメリカが憧れの国だったころ(正直、今は憧れはないです)、そこまでひどい事件は頻発してなかった。でも、このような学校での銃乱射も今年だけで、つまり2ヶ月もたってない段階で18件になっているという。冗談じゃないと思う。

今、日本に来る観光客が、日本は安全で素晴らしいというけれど、アメリカ人あたりがそういう感想を言うのも当然かもしれない。日本で生活している我々日本人としては、その日本ですら危険になったなあと思うこともあるけれど、比較すればまだマトモだってことなんだろう。実際に、ひどくなった最大の理由は、外国人居住者が多くなって彼らが犯罪を犯すことなわけで・・。

オリンピックで、アメリカのショーンホワイトが日本の平野君にスノーボードで勝利していた。インタビューでは、高揚して話しをしていたし叫び声をあげてさわいでいたり。一方、平野君は落ち着いて冷静に・・・31歳と19歳、逆じゃないかって思うような光景だった。

考えてみれば、その昔、アメリカが憧れだった頃、そういう自由奔放な表現ができる個人主義に憧れていたものだ。でも、その結末が社会の乱れになったり犯罪になったりなわけだから、日本の調和の精神のほうが、よほど人間社会としては正しかったという結論が出てしまったように思う。

19歳の若さ、それもスノーボードをやってファッションも飛んでるわけだけれど、平野君のそれでもあの立派な冷静な受け答えには、日本の成功した社会の一面を見る思いがした。


戦場並みに荒れ果てた学校や社会を見ると、もうそこには憧れだった自由の国アメリカの姿は消滅したんだと思った。
不倫騒動から急展開で引退会見となったらしい。小室より年下だけれど、そう離れていない年齢だったので少し気になった。

事情はわからないからそれについての感想はないけれど、ただ最近小室哲哉って影が相当薄くなっていた。かつての栄華は遠く消え去り、今は年をとって往年の名前で出ている感じがいつも漂っていたからこうなるのも結局は時間の問題だったのかもしれない。

詐欺事件で罪となり、奥さんが倒れて、本人も病がちな時間が最近は多かったようだ。なにか、とても晩年に向かって不幸を背負ってしまったような印象すらある。

でも、なんといってもそうなっていった最大のきっかけは小室本人が作る音楽を世の中が必要としなくなってしまったからだろう。いくら自分で納得した音楽を作っても、世の中が興味を示してくれなくなった以上は、クリエイターとしての寿命は尽きてしまったとしかいえない。

僕は彼のファンではないから冷たい言い方かもしれないけれど、でも、それは僕の好きなアーチストであっても全く同じことだ。どれだけ才能があっても時代と共に求められる才能は変わっていく。それが時代。我々が熱狂したアーチストに、我々の子供の世代は熱狂はしない。


しかし、よく作曲とプロデュースという作業だけでここまで持続したという感慨もある。僕個人にとって小室哲哉のキーボードプレーは趣味でもなくて全く聞けなかったし、時々余興のようにトライしていたボーカルも本当に音程が外れていてミュージシャンとはいえないレベルだった。だからこそ、ミュージシャンの第一線ではなく、他にボーカルが必要で演奏も表に出ないでやっていたのだろう。そして、だからこそ、作曲とプロデュースで世に名を残したことは賞賛に値するとは思う。売れなくなって詐欺でつかまったのはあまりに大きなオチだったけれど。

TMネットワークという小室が最初にいたバンドの木根というギター奏者が、後になって実はギターはまったく弾けなくてただ手を動かしていただけだったと告白していたけれど、そんなテキトー極まりないバンドでもOKだった時代だからやってられたってこともあるのだろう。なにか胡散臭い雰囲気があったから好きになれなかったけれど、木根のそういう話を聞いたときはやっぱりとおもったものだ。

そんな勢いだけでやっていたバンド活動から、一時代をリードしたプロデューサーとなったのだから隠れていた才能を開花させたんだろう。


でも、時代と共に去っていくのは、彼がどうのこうのではなく、やはり寂しさは残る。僕らの時代はどんどん流れ去っていくということなんだろう。

お疲れ様でした。少し休んでよい余生を楽しんでください。


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