事情はわからないからそれについての感想はないけれど、ただ最近小室哲哉って影が相当薄くなっていた。かつての栄華は遠く消え去り、今は年をとって往年の名前で出ている感じがいつも漂っていたからこうなるのも結局は時間の問題だったのかもしれない。
詐欺事件で罪となり、奥さんが倒れて、本人も病がちな時間が最近は多かったようだ。なにか、とても晩年に向かって不幸を背負ってしまったような印象すらある。
でも、なんといってもそうなっていった最大のきっかけは小室本人が作る音楽を世の中が必要としなくなってしまったからだろう。いくら自分で納得した音楽を作っても、世の中が興味を示してくれなくなった以上は、クリエイターとしての寿命は尽きてしまったとしかいえない。
僕は彼のファンではないから冷たい言い方かもしれないけれど、でも、それは僕の好きなアーチストであっても全く同じことだ。どれだけ才能があっても時代と共に求められる才能は変わっていく。それが時代。我々が熱狂したアーチストに、我々の子供の世代は熱狂はしない。
しかし、よく作曲とプロデュースという作業だけでここまで持続したという感慨もある。僕個人にとって小室哲哉のキーボードプレーは趣味でもなくて全く聞けなかったし、時々余興のようにトライしていたボーカルも本当に音程が外れていてミュージシャンとはいえないレベルだった。だからこそ、ミュージシャンの第一線ではなく、他にボーカルが必要で演奏も表に出ないでやっていたのだろう。そして、だからこそ、作曲とプロデュースで世に名を残したことは賞賛に値するとは思う。売れなくなって詐欺でつかまったのはあまりに大きなオチだったけれど。
TMネットワークという小室が最初にいたバンドの木根というギター奏者が、後になって実はギターはまったく弾けなくてただ手を動かしていただけだったと告白していたけれど、そんなテキトー極まりないバンドでもOKだった時代だからやってられたってこともあるのだろう。なにか胡散臭い雰囲気があったから好きになれなかったけれど、木根のそういう話を聞いたときはやっぱりとおもったものだ。
そんな勢いだけでやっていたバンド活動から、一時代をリードしたプロデューサーとなったのだから隠れていた才能を開花させたんだろう。
でも、時代と共に去っていくのは、彼がどうのこうのではなく、やはり寂しさは残る。僕らの時代はどんどん流れ去っていくということなんだろう。
お疲れ様でした。少し休んでよい余生を楽しんでください。