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動物愛護とどう向き合うか

ここでは、「動物愛護とどう向き合うか」 に関する記事を紹介しています。

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ずっと犬が好きで、犬がかわいそうな状態だったりするとこっちも寂しくなったりしていた。数年前に捨て猫を森で拾ってきて育て始めたらだんだん猫にも愛着が生まれ始めて、今は犬も猫も大事な存在だ。

その昔、ニュージーランドに住んでいたころ、高速道路を車で走っていて目の前を行くトラックに近づいた。そしたら、荷台に積まれたぬいぐるみのような「ゴミ」が目に入った。少しはしっていると、それが「動いている」のに気づいた。

なんとそれらは生きている子羊だった。かわいい小さな子羊が荷台の中で隙間なく詰め込まれて、上下左右関係なくとにかくゴミのようにぎっしり力いっぱいに詰め込まれている状態だった。あまりにかわいそうで、そのトラックから離れるために自分の車の速度を落とした。その光景は今も、自分の中ではトラウマのような光景となって、離れようとしない。

ニュージーランドに行ってから、ラム肉は食べられなくなった。牧場で走る子羊や、上のトラックのような光景を見て、あまりにかわいい子羊が、生まれてわずか数か月の命の中でゴミのような扱いをされて「肉」になって終わっていくことが、どうしようもなく悲惨でかわいそうに思えてしまったからだ。

今は日本で生活していてもそれは変わらない。

そして、最近は時々ニワトリを育てているファームに用があっていったりするのだけれど、だんだんニワトリもかわいくてかわいそうで、もう食べられなくなった。とにかく、2年くらいの命しかないニワトリは卵を産むためにだけ育てられ、わずかB5サイズくらいの面積のカゴの中でだけ生涯を送る。生まれてきて、身動きすらできず、カゴの中で卵だけを産まされて、そして最後は肉にされてたべられて死んでゆく。これって、同じ命としてあまりに残酷じゃないか、と思えて仕方がなくなった。

だから、最近は卵は絶対に平飼い卵しか食べない。平飼い卵なら、ニワトリはカゴの中で産んだ卵ではなく地面を歩いている状態で産んだ卵なので、少なくともニワトリは死ぬまで動く自由だけはあったわけだから。

豚も牛も、実は飼育していると人間になついてくる。豚なんて、子供のころの姿などはかわいくてかわいくて命のすばらしさを感じるほどだったりする。

こういう姿を知ってしまうと、食べることなんてできなくなってしまう。命をもらって食べて我々だけは生きるということは、本当に大変なことなんだと今更ながら思う。かわいい姿、人間になつく心をもつ生き物を食べるために殺して、その肉を美食として味わって笑って飲んで宴会して、挙句のはてに食べ残して・・・こういうことができなくなってしまった。

人間も生きるためには肉を食べる。これは仕方がないのかもしれない。
しかし、そのために、我々は同じように一度しかない大切な命を毎日のように大量に殺してしまっていることもやはり忘れてはならないと思う。

動物愛護はひとそれぞれで感じ方も違う。
ただ、そんな命ある動物を大切に育てることもできれば、殺すことも簡単にできるのが人間であること。生き物の頂点に立つような存在である人間であるからこそ、やはり愛護の心は少しでも持ち続けないとならないとは思う。

なお、自分自身もこんな切実な感覚をもつようになったのは最近のことだ。ニュージーランドでラムを食べなくなったのはかなり前でも、他についてはあまり考えたこともなかった。年をとったのかもしれないし、動物に接する機会が増えたからなのかもしれない。でも、このことに気づいてよかったように自分では思っている。

今日の雑感、でした。

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