安くモーテル予約&レンタカー予約でアメリカをドライブして楽しむ情報

エンゼルスの大谷翔平が練習を始めたらしい。

ことしは、おそらくロサンゼルス旅行の目的のひとつがMBL観戦になりそう。たしかに、いままでドジャースで前田もがんばっていたけれど、大谷と前田ではちょっと期待度が違いすぎるので、旅行の目的もドジャースじゃなくてエンゼルスになるというまるで下克上のような状態だ。

だけど、ロサンゼルスも今ははっきり言って、楽しいことがたくさんある街ではなくなった感がある。ドライブツアーは確かに今も楽しい。あれだけ車で走っていて楽しめる街、国は、やはりアメリカでありロサンゼルスならでは。素晴らしい。

でも、じゃあ他に楽しみってナンだ?

買物でロデオドライブに行くにしても、いまさら日本でいくらでもいいものは買えるし、ブランドならアウトレットも日本で充実してしまった。アメリカまで行ってサイズが違う洋服をかってもなにか面白くない。一昔前なら、アメリカでサイズが違うだぼだぼの洋服を買ってもなにか楽しかったのだけれど。

食べ物???
これこそ、ロサンゼルスで食べたいものなんてほとんどない。和食は日本の平均以下だし、少しおいしいものを食べるとバカ高い。和食に限らず、とにかく食べ物が高い。それでいて、間違いなく日本のほうがはるかにおいしい。あほらしくなる。

エンターテイメント??
映画も音楽も、わざわざLAやアメリカで見ても昔ほど燃えない。何故って、いいバンドも年取ってダメだし、新しいバンドも出てきてないし、第一、日本のコンサートのほうが面白い。同じミュージシャンを見るにしても、日本で見るほうがエキサイトすることもしばしば。アメリカだと観客がさわぎすぎて音楽どころじゃなく、うるさい。本当に音楽を聴きたいなら日本のほうがはるかにいい。

映画にしても、日本のほうが映画館もいいし、わざわざアメリカで見る気にもならない。というか、それほど見たいハリウッド映画なんて最近ずっと登場してない。駄作のためにわざわざ現地で見たくない。


ということで、個人的にはアメリカ、ロサンゼルスの旅は、大谷のピッチングとバッティングを楽しむこと、それと飽きずにドライブツアーをしながら旅をすること、ということになりそうかな・・・。




オリンピック中だけれど、またアメリカの学校で銃乱射があって17人死亡・・・、とのこと。

なにか、アメリカは末期的な症状になってきた。かつてアメリカが憧れの国だったころ(正直、今は憧れはないです)、そこまでひどい事件は頻発してなかった。でも、このような学校での銃乱射も今年だけで、つまり2ヶ月もたってない段階で18件になっているという。冗談じゃないと思う。

今、日本に来る観光客が、日本は安全で素晴らしいというけれど、アメリカ人あたりがそういう感想を言うのも当然かもしれない。日本で生活している我々日本人としては、その日本ですら危険になったなあと思うこともあるけれど、比較すればまだマトモだってことなんだろう。実際に、ひどくなった最大の理由は、外国人居住者が多くなって彼らが犯罪を犯すことなわけで・・。

オリンピックで、アメリカのショーンホワイトが日本の平野君にスノーボードで勝利していた。インタビューでは、高揚して話しをしていたし叫び声をあげてさわいでいたり。一方、平野君は落ち着いて冷静に・・・31歳と19歳、逆じゃないかって思うような光景だった。

考えてみれば、その昔、アメリカが憧れだった頃、そういう自由奔放な表現ができる個人主義に憧れていたものだ。でも、その結末が社会の乱れになったり犯罪になったりなわけだから、日本の調和の精神のほうが、よほど人間社会としては正しかったという結論が出てしまったように思う。

19歳の若さ、それもスノーボードをやってファッションも飛んでるわけだけれど、平野君のそれでもあの立派な冷静な受け答えには、日本の成功した社会の一面を見る思いがした。


戦場並みに荒れ果てた学校や社会を見ると、もうそこには憧れだった自由の国アメリカの姿は消滅したんだと思った。
不倫騒動から急展開で引退会見となったらしい。小室より年下だけれど、そう離れていない年齢だったので少し気になった。

事情はわからないからそれについての感想はないけれど、ただ最近小室哲哉って影が相当薄くなっていた。かつての栄華は遠く消え去り、今は年をとって往年の名前で出ている感じがいつも漂っていたからこうなるのも結局は時間の問題だったのかもしれない。

詐欺事件で罪となり、奥さんが倒れて、本人も病がちな時間が最近は多かったようだ。なにか、とても晩年に向かって不幸を背負ってしまったような印象すらある。

でも、なんといってもそうなっていった最大のきっかけは小室本人が作る音楽を世の中が必要としなくなってしまったからだろう。いくら自分で納得した音楽を作っても、世の中が興味を示してくれなくなった以上は、クリエイターとしての寿命は尽きてしまったとしかいえない。

僕は彼のファンではないから冷たい言い方かもしれないけれど、でも、それは僕の好きなアーチストであっても全く同じことだ。どれだけ才能があっても時代と共に求められる才能は変わっていく。それが時代。我々が熱狂したアーチストに、我々の子供の世代は熱狂はしない。


しかし、よく作曲とプロデュースという作業だけでここまで持続したという感慨もある。僕個人にとって小室哲哉のキーボードプレーは趣味でもなくて全く聞けなかったし、時々余興のようにトライしていたボーカルも本当に音程が外れていてミュージシャンとはいえないレベルだった。だからこそ、ミュージシャンの第一線ではなく、他にボーカルが必要で演奏も表に出ないでやっていたのだろう。そして、だからこそ、作曲とプロデュースで世に名を残したことは賞賛に値するとは思う。売れなくなって詐欺でつかまったのはあまりに大きなオチだったけれど。

TMネットワークという小室が最初にいたバンドの木根というギター奏者が、後になって実はギターはまったく弾けなくてただ手を動かしていただけだったと告白していたけれど、そんなテキトー極まりないバンドでもOKだった時代だからやってられたってこともあるのだろう。なにか胡散臭い雰囲気があったから好きになれなかったけれど、木根のそういう話を聞いたときはやっぱりとおもったものだ。

そんな勢いだけでやっていたバンド活動から、一時代をリードしたプロデューサーとなったのだから隠れていた才能を開花させたんだろう。


でも、時代と共に去っていくのは、彼がどうのこうのではなく、やはり寂しさは残る。僕らの時代はどんどん流れ去っていくということなんだろう。

お疲れ様でした。少し休んでよい余生を楽しんでください。


アメリカに旅に出て一番楽しみなことの一つが現地でブルースやジャズを聞けること。

これは、さすがに日本では無理なので、現地の本物の音楽を楽しめるときはちょっとワクワクする。ニューヨークならジャズだろうし、ロサンゼルスならフュージョンもいまだにライブ演奏が行われていて日本の死滅したフュージョンブームとは裏腹に静かでも絶えることなく今も継続しているのがわかる。ブルースも結構市民権は根強くあって、探すとさほど難しくなく毎晩どこかで生演奏があったりする。

ロックという巨大な音楽産業化したコンサートもいいけれど、ジャズやブルースというアメリカのいわゆる「民族音楽」はやはり素晴らしい文化であってなにか心が落ち着く。年取ったからかなあ・・・今ではさほど巨大なロックコンサートには出かけたいとも思わなくなった。


ところで、今、ダウンタウンの浜田が得ディーマーフィーに変装した黒人メイクが人種差別だってさわいでいる黒人が日本にいるらしい。それって、ものすごいアメリカ文化の押し付けだと思った。アメリカじゃそうなんだろう。でも、日本ではそんな差別意識さらさらない。だから、そういうアメリカの差別習慣を持ち込むなら日本に住まないでアメリカに住むべきだと思った。アメリカでなら、そういう議論は成り立つだろう。でも日本では、白人に変装するのも黒人に変装するのも差別や偏見はまったくない。白も黒も同じ変装でしかない。差別だとさわぐ人自身が差別意識に覆われているだけじゃないのか。

ジャズやブルースが僕は大好きだから、僕にとってはBBキングやマイルスデービスはある意味神格化した存在だ。では、僕がその憧れの人達に対してオマージュをささげるために真似してコンサートをやったら「黒人差別」になるのか?憧れや尊敬を表すことが差別になるのか?あほらしい。黒人だろうが白人だろうが、憧れは変わらない。

この差別問題を言い出したアメリカ人とて、おそらく幼少期や何もしらないときは、差別意識(差別される意識)などなかったのだろうと思う。生活の中でそういう差別を経験してしまったからそこに敏感になったのだろうと思う。ある意味、社会の歪みがそうさせてたんだろう。

しかし、そういう差別や歪みのない日本社会に、歪みの価値観を持ち込むほうが迷惑に感じる。どうしても、問題なら冷静に議論してから問題化すべきであって、一方的に日本が悪いという論調はおかしすぎる。

ひとつ感じることがある。

アメリカでしばしば、アジア人のつり目を真似して差別問題になることがある。アメリカで僕も目の前でそうされたこともあるので、現実におきるのは知っている。でも、そのとき「ああ、そういう風に見えるんだなあ」としか」思わなかった。差別されている意識なんてなかった。だから、その行為をした人間ともまったく不仲にはならなかった。

数十年もの時間を経て、今、その行為は差別として考えられているのを僕はしっている。だからもし今アメリカあたりでそうされたら、ああまた差別か、ときっと思うのだろう。

それは社会がそうなったということを知ったからだ。

社会に差別の意識がない時に、つり目でも黒人の変装でも白人の変装でも、僕個人は悪気を感じることはまったくなかった。それは今日本にいて、やはりそう思う。なぜなら、僕の周りの日本人で「黒人差別や白人差別」をしているひとなんてゼロだからだ。外国人と日本人の違いはあると思う。実際にマナーの悪さで困っている人も多い。でも、それは白人でも黒人でもアジア人でもなく外国人でしかないし、まして差別ではなくマナー違反やことなった習慣にたいする問題対処でしかない。

なぜ、黒人に変装すると人種差別になるのか、そんな差別文化がない日本人にはおよそ理解できないとやはり思う。もし、今後もそういう議論をこの在日アメリカ人が起こしていくなら、逆に日本に差別して考える文化が根付いてしまうかもしれない。

それがこの人のご希望なのだろうか。

東京に住んでいるわけではないので、仕事のときは東京にいって泊まったりする。

最近、というか、東京にいくたびに凄いことになっているのが、店で出会う店員の外国人の多さ。赤坂に今回は泊まったのだけれど、赤坂で入ったコンビニやファーストフード店、ラーメン屋だのパブだの・・・正直なところ、ほぼ100%の確率で外国人が店員だった。そして、そのほとんどは日本人の店員と並列で働いているのではなく、外国人だけで店を見ているようだった。

セブンイレブン、ファミリーマートなどから、ファーストフードはマック、バーガーキング、てんや、松屋、吉野家、長崎ちゃんぽんのリンガーハット、たこ焼きの銀だこ・・・・などは、完全に100%外国人だけの店員だった。

別に最初は嫌気を感じることもないのだけれど、それがだんだん違和感を覚えるようになっては、嫌になってきてしまった。なぜなら、サービスのクオリティが全く違うから。

バーガーキングにでは、入ってもカウンターに誰もいないから、ちょっと覗き込んで「オーダーお願いします」と中東かインドのほうかわからないけれどそれ風の外見の外国人店員に言って目があったものの、完全無視。しかたなく、担当者が出てくるまでまってオーダーしたが、お釣りを渡されたらその手が濡れていて釣銭がびしょびしょでこっちの手も濡れた。

いったい何故濡れているんだろうって気持ち悪くなった。食べ物を作っているのか、なにかに触ったのかわからないけれど、日本人として慣れているサービスで濡れ手で客に接するなんてありえないから。

天丼のてんやに入ったら、いらっしゃいませも何もなし。忙しいからかもしれないけれど、例によって完全無視。店員はタイ語かベトナム語のような言語で話しているからこっちはわからない。それだけで、もう嫌になって店を出た。それで、やはり日本人のサービスがある店に行きたくなって他に感単に食べられる店を探したら、上に書いたとおり、全滅。他の店では、全部中国系の名前の店員が名札をつけて働いていた。

赤坂は本当にもう変わった。知っていた赤坂ではない。

でも、それは赤坂だけじゃなくて、翌日銀座にいったらやはり同じことだった。知人似合いに京王線の笹塚にいったらあんなマイナーな駅でも韓国語と中国語がどんどん聞こえてきた。

この外国人の増えるスピードがどうもクレイジーなほどに凄い勢いだ。このままでいくと、数年後、オリンピックが終わる頃、間違いなく日本はいままでの日本の常識が通らない部分が相当出てくるように感じる。今でもサービスや習慣が確実に崩壊しているわけだから。


ニュースでは京都で外国人が多すぎて対処できなくなっていたりするらしい。これは、おそらく京都だけでなく、東京も他の街もほぼ同じことになる。時間の問題ということか。

数日まえ、ユーチューバーのローガンポールとういアメリカ人が、日本にきて日本や日本人を馬鹿にしまくって動画をつくって公開していたようだ。日本人は文句を言わなくて、人を敬うからいいはずだってさわぎながら動画に写っていたらしい。

しばしば、中国人、韓国人のマナーが悪くて問題になるようだけれど、アメリカ人だってこういう非常識で招かれざる輩はいる。いや、世界中からそいうタイプの旅行者はやってくる。


そういう現実に直面してくと、日本の風習は壊されていき、日本人の心は荒れ果てる。そして、それはいずれかならず我々の社会がすさみ始めることになる。

国際化とはこういうことを必ず生み出す。


お金を落としてくれるから歓迎するというのは、あくまで経済の一面。政治や文化、そして我々の生活を考えるときには、おそらくプラスよりもマイナスの効果のほうが大きくなる。それは、今までのヨーロッパやアメリカの例を見れていればよくわかる。歴史が語っていることだ。

安倍首相になって一気に日本は開放されている。これを選択しているのは日本人自身だけれど、この現実にはまだ気づいていない人のほうが多いのだろう。毎日、観光客が増えて喜ばしいというニュースはあるけれど、その反面なにが今起ろうとしているかはまったく伝えられていない。

かつてニュージーランドに住んでいたことがあるけれど、あの国も移民をオープンにしてから、一気に街の様子が変わっていった。日本はそうなるのだろうか・・・・今のままなら、おそらくそうなるということなのだろう。


また新しい年がスタートしてしまいました。
1年なんて本当に早くて、年齢を重ねるほどに時間がたつのが早く感じます。

正月、テレビも良く見たし、おいしいものも結構食べて正月らしく暇に過ごして肥満になったか・・・。ダジャレでもなく本当のことです。


ひとつだけこのところ感じたこと。


どうも最近は外国人観光客とやらが本当に多い。もちろん、韓国、中国あたりが一番多い。反日でいつも日本大嫌いってやってるのに本当に大挙してやってくるって不思議でしかたないけれど、それでもやってくる事実。そして、台湾やタイなどの日本と親しいアジアの国ももちろん多い。それに負けじと、アメリカやヨーロッパ、オセアニア、さらにはアフリカからも来ているから、もう東京や大阪、京都などの風景ははっきりいって変わってしまった。日本人が日本という国をエンジョイしていたのは過去のこととなり、外国人と共存することを受け入れないとならない現実が迫ってきている。

これはいずれ大きな社会問題になるのは間違いない。移民も増えるし、すでに今でも不法滞在者はどんどん増えている。いずれ日本の社会がそれらの人間を支えきれなくなる日が来る。

そうなると、そういう外来者たちは、不満を言い出すことになる。差別だの人道違反だのってことになるわけで、こんなのはすでに移民を受け入れすぎているヨーロッパやアメリカ、カナダ、オーストラリアなどで実証されている。


外国人も少ないうちは歓迎して受け入れていられるけれど、本当に増えてきたら間違いなく日本の文化に合わない習慣を持ち込んでくる。

今、テレビを見ていてもやたらにハーフのタレントが多い。ニュースのキャスターまでやっていて、もう日本の番組じゃなく感覚になる。白人文化に特に弱い日本人だから、白人とのハーフはなにかエキゾチックでカッコいい感じになるんだろう。


でも、さんざん旅して思ったけれど、日本人が悪いとか外国人が悪いとかではなく、ことなった人種や文化が混ざれば必ずいずれトラブルが起きる。最初は、ものめずらしくて楽しいかもしれない。でも、いずれ変わっていく。


これだけ日本に外国人が増えてしまった状況をみて、本当に日本は姿を変えていくことになるんだと痛切に感じた。





年頭の雑感でした。


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大晦日の夜中に入ったニュースで今年は締めくくりです。

ビートルズのドラマーだったリンゴスターがナイトを授与されて、サーの称号をもつことになるらしい。もう来年、2018年には78歳になると思うけれど、彼は何か本当に見た目も活動も若い。ポールも若く感じるけれど、どうもこの晩年になってリンゴスターはものすごく自然体ではつらつ感が凄い。

そんな時期に勲章をもらうのだから、彼も喜んでいるんだろうと思う。ポールは20年前にナイトをもらっていて、随分遅れたものだけれど。ビートルズはまだ4人でがんばっていた頃、MBE勲章はもらっているから、リンゴはそれ以来の受勲となるということか。


僕もずっとビートルズファンだった。今は熱も冷めてきたけれど、若いころはやはり影響されたから、こういう明るい話題は年末に嬉しい。

最近のビートルズも存在感はかなり変わった。テレビを見ていたりすると、凄いくだらない場面でビートルズのBGMが使われていたりするけれど、少なくとも20世紀のうちはそんな易々と彼らの楽曲をBGMやCMになんて使えなかった。あまりに神々しくて、曲を使ってもどんな画像やストーリーにも合致しないから。音楽だけですべてを完結してしまうほどの存在感が音楽にも彼ら自身にも間違いなく残っていた。もちろん、解散前の時期なんて、本当に神様状態だった。

昨今、ジョンレノンがイマジンを歌っているユニセフのCMも流れているけれど、これもその昔はこんな露出はありえなかった。まだ、このCMはマトモなほうかもしれないけれど、他にビートルズが安っぽく使われている場面に遭遇するとさすがに隔絶の時代感に覆われる。

今、ビートルズのニュースなどが出ると、多くの若者はせいぜい名前を知っているか数曲知っている程度であって、場合によっては名前さえ知らないということもある。我々世代でビートルズの名前を知らないなんてことは100%なかったから、これもものすごい時代の流れなんだろう。

ビートルズの曲はおそらく名曲として永遠に残るのだろう。しかし、それは名曲としては力を持ち続けても、ビートルズという天才の存在は次第に単なる歴史になっていくんだろう。それは当然なのかもしれない。ライブじゃないんだから。現実に活力ある姿はなくなっていくんだから、歴史に生きるようになるのは誰もが同じだ。

おそらくポールであれ、ジョンであれ、いわゆる音楽の天才としての評価は変わらないだろうけれど、1960年代からの20世紀に彼らが神のように君臨した存在感は次第に消えていくんだろう。


リンゴスターが存命中に勲章をもらえてよかったと思う。ジョージやジョンは、その前に他界しているから。


リンゴスターはドラマーだったけれど、バンドの中では音楽才能は最低だったというのが一般評価。ドラマーがリバプールにいなかったから、最高にラッキーな人生になったということなんだろう。まあ、遠からず当たっていると思う。ビートルズファンは、リンゴも天才っていうけれど、僕はそこまで天才だとも感じない。彼じゃなく、もっとカッコいいドラムがいたらビートルズもリズムはもっと凄くなっていたんだろうってよく思った。ま、ジョージのギターもそうだけれど。

でも、そういう奇跡の偶然性の中に生きたことも、彼らの時代であって、運命のようなものだったんだろう。だって、実際にもしリンゴスターがリバプールにあの時代いなかったら、間違いなくビートルズは完成していなかったんだから。

リンゴスターのナイトの受勲は、結局、「そんな奇跡の歴史を生きてくれてありがとう」っていう意味も含まれているんだろうって気がする。

長生きしてくださいよ。